ミノワマンが語るリアル超人への道「入門テスト不合格の真相と、階級制への違和感」

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【ミノワマンが語るリアル超人への道「入門テスト不合格の真相と、階級制への違和感」】

破天荒な言動とファイトスタイルで一時代を築いたミノワマンが、100キロの大台を目指し大幅な肉体改造を行なっている。階級別、減量が主流の格闘技界にあって、なぜ時代に逆行するかのような試みに着手したのか。その思考を紐解くためにも、夢を叶えたパンクラスでのプロデビュー以降を振り返る。
※本記事は、2022年に『VITUP!』で公開した記事を再編集して紹介するものとなります。

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「誠ジム所属での出場でしたが、本当にうれしかったです」

―1997年7月、ついにパンクラスのリングで闘うことになりました。

「誠ジム所属での出場でしたが、本当にうれしかったです。両親だけではなく、誠ジムの仲間などがバスを1台借りて50人くらい応援に来てくれました。リングに上がってコールを受ける前に、自分の手のひらを眺めたのを覚えています。『本当にパンクラスのリングに立っているんだ』と、その時に実感しました。試合に関してはアマチュアで20戦以上やっていたので、そういう意味では実戦慣れはしていたと思います」

―初戦はヘイガー・チンにヒザ十字固めで一本勝ち。ネオブラッド・トーナメントの一回戦を突破しました。

「その日は昼夜興行で、夜は長谷川悟史さんとの準決勝戦でした。延長の末に判定で負けたんですけど、試合後にパンクラスに入門したいということを、あらためて伝えました。そして8月3日に正式に入門が決定しました」

―日付まで覚えているんですね。

「覚えていますね。そして直後の8月9日に梅田ステラホールで近藤有己さんとの試合が組まれました。東京道場所属としてのデビュー戦の相手が、当時のチャンピオンでした」

【ミノワマンが語るリアル超人への道「入門テスト不合格の真相と、階級制への違和感」】

―晴れてパンクラスに入門することになったわけですが、実は第6回入門テストの時点ですでに合格レベルだったと聞いています。ただ新弟子の寮がいっぱいで、不合格にするしかなかったようですね。

「寮が満室でそれで不合格になったという話は、入門して2年後くらいに聞きました。でも、あの時に合格していたら続けられたかどうかわかりません。誠ジムでリング設営などの経験ができたことも大きかったですし、誠ジム時代に3泊4日の日程でパンクラスの合宿に参加させてもらったことがあるんです。その時に練習のキツさ、レベルの違いを感じたこともあって、このまま続けられるのかって悩んだことがあるんです。入門する前に、それらを知ることができたので結果的によかったと思いました」

―当時のことで他に何か覚えていることはありますか。

「入門した時にすでにデビューしていたので髪の毛が長かったんですけど、船木(誠勝)さんから『入門の儀式だから』ってことで坊主にしてもらったんです。そうしたら前髪の1カ所だけ髪の毛が残っていて…、その状態で『3日間そのままで』って言われました。隠したらダメということで、前髪がピョロっと出ている状態で買い物とかもそのまま行きましたね(苦笑)」

―無事に入門をはたしたわけですが、なかなか結果が出ずに98年10月に東京道場から横浜道場に移籍となりました。

「トレードですね。僕と國奥(麒樹真)さんが横浜、長谷川さんと渋谷(修身)さんが東京に移籍になりました」

「練習だけではなく試合でも一切打撃が禁止でした」

―そこから一気に5連勝。そして大道塾の山崎進戦で、一気に美濃輪育久という名前が知れ渡るようになりました。ただ道場長の鈴木みのる選手からは打撃禁止令を言い渡されることになります。

「道場で窪田さんと打撃スパーをしていたんです。それを見た鈴木さんが『なんだお前、そのへったくそな打撃は。そんなのもうダメだ。お前らもう打撃禁止』って言われました。シャドーもダメでしたし、練習だけではなく試合でも一切禁止でした。そこからは、もうタックルと関節技だけです。タックルだけの試合を初めてやったのが渋谷さんとの試合で、何とかドロー。その次のジェイソン・デルーシア戦は判定負けでした」

―ガードポジション禁止、打撃禁止など現在では考えられない指導法です。道場だったりプロレス的な環境で育ったことも、今のミノワマン選手の思考に影響を与えているかもしれません。

「でも当時はセーム・シュルトみたいな2メートルの選手と闘ったり、道場でのちゃんこ番とかも当たり前でした」

―打撃解禁は99年のネオブラッド・トーナメントですか。

「そうですね。鈴木さんから『打撃を使っていいよ』って言われました。基本的にはタックルと寝技だったんですけど、3連続一本勝ちで優勝することができました」

―このあたりからは、もはや説明不要でしょう。奇想天外なファイトスタイルも相まって、一気に大ブレイクをはたしました。

「その頃はまだ掌底でしたけど、道場ではフェイスガードをつけてパウンドとかの練習も結構やっていました。あれもこれもとやって全部が中途半端になっていたので、それを一個に絞らせてくれた鈴木さんには本当に感謝しています」

―その頃になると入門前にイメージした通りの姿に近づいていたのではないですか?

「そうですね。ただ次第に海外に行きたいなという気持ちが出てきました。いろんな世界が見たいなと。あと2000年からライトヘビー級とか階級制が導入されて、そこで体重を落としてみたりしたんですけど、なんかしっくりこないというか、僕の中では気持ちよくなかったです」

■ミノワマン(みのわまん)
本名:美濃輪育久。1976年1月12日、岐阜県出身。175センチ。92キロ。フリー。戦績/117戦63勝(43S、11KO)45敗9分。パンクラス 第5回ネオブラッド・トーナメント優勝、初代BSFミドル級王者、DREAMスーパーハルクトーナメント 〜世界超人選手権〜優勝
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