ミノワマンが語るリアル超人への道「喘息持ちで病弱でした」

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【ミノワマンが語るリアル超人への道「喘息持ちで病弱でした」】

破天荒な言動とファイトスタイルで一時代を築いたミノワマンが、100キロの大台を目指し大幅な肉体改造を行なっている。階級別、減量が主流の格闘技界にあって、なぜ時代に逆行するかのような試みに着手したのか。ここではミノワマンの思考を形成した“美濃輪育久”時代を数回にわたって深掘りする。
※本記事は、2022年に『VITUP!』で公開した記事を再編集して紹介するものとなります。

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「プロレスラーになろうと思ったのは中学2年生の時」

ーミノワマン選手の思考を理解するには、ミノワマンになる前の少年時代にまでさかのぼる必要があると思います。プロレスを初めて見たのは小学生の時ですよね。

「初めて見たのは4年生か、5年生くらいの時ですね。父親がプロレスの大ファンで、テレビを一緒に見たというのが最初だったと思います。最初は怖いなと思ったんですけど、だんだんレスラーをかっこいいと思うようになって。5年生の時に初めて父親が生観戦に連れて行ってくれて、それで大好きになりました。完全に父親の影響です」

ーその数年前には、いわゆるキン消し(キン肉マン消しゴム)が大ブームになりました。

「キン肉マンは兄貴の影響ですけど、キン消しも大好きでした。なかなかガチャガチャはやらせえてもらえなかったんですけど、みんながほしいと思うキャラクターを手に入れた時はヒーローでした。当時は小学1年生から6年生までの地域の子どもが集まって分団で登校していたんですけど、低学年はなかなか上級生から相手にしてもらえないんです。でも、人気のキャラクターが当たった時は上級生が集まって来て、そこからは仲よくしてくれました。キン消しの交換とかもありましたし、コミュニケーションのツールになっていました」

ーキン消しあるあるですね。初観戦の記憶は鮮明に残っていますか。

「最初は新日本プロレスで、最前列で観戦しました。ビッグバン・ベイダーが暴れている頃です。猪木さんはケガで出場していなかったんですが、ベイダーのカードが2対1のハンディキャップマッチだったのを覚えています。試合に勝ったベイダーが2階席に雪崩れ込むくらいの大暴れをしていて、自分が座っていた席のほうにも向かってきたんです。もう本当に怖くて、ダッシュで会場の隅まで走って逃げたのを覚えています」

ー前回のインタビューでも触れましたが、その少年が218センチ、150キロ超のチェ・ホンマンと向かい合ってワクワクするというのだからわからないものです。当時から、すでに将来の夢はプロレスラーだったのでしょうか?

「いえ、その時はただ好きなだけで、プロレスラーになろうと思ったのは進路相談が始まった中学2年生の時です。三者面談があって将来、何になりたいかということを話し合う機会が多くなってからですね」
「走るとすぐ咳が出て、体重も50キロくらいしかなかったです」

ーただ当時は喘息もあって、どちらかと言うと体は弱いほうだったと聞いています。

「喘息持ちで病弱でした。今でもたまにありますけど、高校生くらいまではひどかったです。だから親とか先生、友達とかにプロレスラーになるという話をしても、話も真剣に聞いてくれなかったです。『喘息なのになれるわけないじゃん』という感じでした」

ー中学時代はサッカー部ですよね。

「プロレスは好きで見ていましたけど、中学2年生になるまでは本気でプロレスラーになろうとは思わなかったです。どちらかと言えばモテたいという気持ちがあったのでサッカー部に入りました」

ーモテましたか?

「補欠でしたし全然モテなかったです(笑)。サッカーの補欠って、ほとんどボール拾いですし、ボール拾いと言ってもつねに飛んでくるわけじゃないので暇なんです。あまりにも暇なので、サッカーゴールを利用して補欠同士でプロレスごっこをやっていました。当時は猪木さん、武藤敬司さん、馳浩さんが好きで、よく真似をしていましたね」

ーサッカーを始めても、あまり体は強くならなかったですか。

「そうですね。走るとすぐ咳が出てしまうのでキツかったです。体重も50キロくらいしかなかったですし、試合も数回しか出ませんでした」

ー体重が50キロ前後だったとのことですが、プロレスラーになるためにまずは何から着手しましたか。

「当時は情報を得る方法が雑誌か、プロレスラーが書いた本しかなかったので、そういうものを片っ端から読みました。そこに『プロレスラーになるために、みんなヒンズースクワットをやっている』と書いてあったので、見よう見真似でスクワットから始めましたね。猪木さん、前田日明さん、船木誠勝さんらが書いた本だけではなく、18歳くらいの時はミスター高橋さんの『プロレスラーになる方法』とかも読みました」

ーご家族の反応は、どうでしたか。

「もう放っておけという感じでした。どうせ辞めて帰ってくるから、放っておけばいいと。父親はプロレス好きなので、その後もプロレスの話とかテレビは一緒に見ていたんですけど、僕がやるという話になると『なれるわけないじゃん』という感じで。母親も最初は『そんな危ないことやめてよ』と言っていましたし、おばあちゃんに至っては実際にレスラーになってからも『いつ就職するの?』と言っていました(苦笑)」

ー身内だと、やはり心配なのでしょうね。

「しかも、おばあちゃんは僕がPRIDEに出ている頃でさえ、同じことを言っていましたからね。『普通の仕事をしてほしい』と。でも、そのわりには一緒に喫茶店に行ったりすると、真っ先に『この子はプロレスラーなんです』って言うんですよ。反対していたのか喜んでいたのか、よくわからないです」

■ミノワマン(みのわまん)
本名:美濃輪育久。1976年1月12日、岐阜県出身。175センチ。92キロ。フリー。戦績/117戦63勝(43S、11KO)45敗9分。パンクラス 第5回ネオブラッド・トーナメント優勝、初代BSFミドル級王者、DREAMスーパーハルクトーナメント 〜世界超人選手権〜優勝。
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