辰吉の20年を追った映画『ジョーのあした』
辰吉丈一郎を阪本順治監督が長期間に渡り追い続けた映画『ジョーのあした−辰吉丈一郎との20年−』(2016年2月公開予定)。ボクシング、現役、そして自分自身であることにこだわり続けた辰吉の20年が、自身の言葉によって語られ、描き出される。「第28回東京国際映画祭」(10月22日〜31日)での上映に合わせ、レッドカーペットと舞台挨拶へ参加した辰吉に、ボクサーとしての根幹をなすロードワーク=走ることについて聞いた。
走ってないボクサーは試合を見たらすぐ分かる
「朝って1日の始まりでもあるんですけど、ボクサーって朝のロードワークが一番シンドいんです。特に冬場。寒い上に夜が明けるのが遅い。その上に走る。やってられないですよね。汗は出ないし、減量中はフラフラするし。でも、それでも走ってきたから僕はチャンピオンになってきたと思います」
辰吉は走ることに関しての自論を語る。
「世界チャンピオンになった人間ってやっぱり絶対朝走るんですよ。僕の師匠である西原先生(故・西原健司トレーナー)にも『朝走らんボクサーはボクサーじゃない』って言われました。なるほどな、と思う。僕らからしたら、走ってないボクサーは試合を見たらすぐ分かる。走ってる人間と走ってない人間の動きって、全然違います」
朝走ることの積み重ねが強靭なボクサーの心身を作り上げる。
「打ち方そのものもそうやし、動き方も全部変わるんで、走ってる人間にしか分からないです。走ってない人間には分からない。走るのは朝じゃなくてもいいんでしょうけど、昼間走って夕方練習するのは厳しいっすよ(笑)。減量やコンディション作りにも朝走って夕方練習が一番いいでしょうね」
当たり前のことができない人間って、何になります?
朝走れるか否かにより、その選手のボクシングへの思いが分かるとも辰吉はいう。
「やっぱりどうしても勝ちたい、俺は誰にも負けたくない、自分がこういう風になるとか、“像”がある人間っていうものは……朝走らないボクサーはダメっていうか、それだけ思い入れがないんでしょう。ボクサーって大体みんな“朝走る”っていうイメージがついてるじゃないですか。そんな当たり前のことができない人間って、何になります? そういうことです]
辰吉自身もそんな思いに基づき、ボクサーとして現在まで走り続けてきた。
「もう何年……29年、ずっと。程度によりますけど、小雨だったら普通に走ります。ザーって降ってくると、さすがに止めます。何でかって言うと、靴が乾かないんです(苦笑)。まぁ、靴が乾かないのはよしとしましょう。でもその状態のまま走っていくと、足に水ぶくれができる。毎日走っていつもこすってる状態だから、治りようがない。それが厄介なんです。だから雨の日は、マンションの階段を上り下りして。何もしないっていうことはないです。朝も必ず何かしら練習はします」
辰吉はリングの外でも戦い続けた
ボクサーである限り、辰吉は自身に課した朝練を止めることはないという。
「もう歯磨きと同じ状態です。寝る前って歯を磨くでしょ。ボクサーにとってロードワークは、それと同じで当たり前のことだから」
映画『ジョーのあした』では時代が変わり、取り巻く状況が変わっても、ボクサーとして、そして望む自分であり続けようとする辰吉の姿が自らの言葉で語られる。辰吉丈一郎とはリングの中と同様、あるいはそれ以上に、リングの外でも戦い続けた人なのだということが作品を観て感じさせられる。
東京国際映画祭 舞台挨拶レポート
――いつものリングでなく、映画祭の舞台に立たれた今のお気持ちは?
辰吉:僕は俳優でもなんでもないんで、ボクサーなので、ドギマギします。
阪本監督:ボクサーのドキュメンタリーにも関わらず、試合映像はほとんど出てこないのですが、彼の発言の重みを大事にすると、逆にそうした動的なものは必要ないと思って入れませんでした。彼の発言、彼の20年間の顔の変化をこの映画の魅力として観て欲しいです。辰吉君がこの映画を観た直後の感想は「俺が終わってないのに、なんで映画が先に終わるんや」でした(笑)
――映画を撮り続けた20年を振り返ってみて、いかがでしたか?
辰吉:よく撮ったな、と思いましたね。感心します。
阪本監督:95年のラスベガスから撮り始めて、(彼が)引退したら発表しようと。失礼ですけど、その時点では4〜5年後に作品として仕上げようと思っていたのですが、何でか引退されないので(笑)ずーっと撮り続けて、20年という区切りと次男の寿以輝くんがプロデビューするのをひとつのきっかけに、膨大なフィルムを一度まとめようと。辰吉くんからは『ジョーのあさって』はいつ撮るのかと言われています。
――今回の撮影を通して感じたこと。映画として完成した思いは?
阪本監督:『BOXER JOE』(1995)の撮影より前に、辰吉君とは、彼が19歳でプロデビュー、僕が監督デビューした年が同じなんです。彼と対面すると、すごくクレバーで、科学的に物事をとらえて、知的な例えを交えて話す。彼にとても興味をもって、彼の頭の中をのぞいてみたいと思いました。
辰吉君は、基本的に変わらない。20年の撮影の中で、似た質問をしても、その時までに蓄積された言葉が出てくる面白さがある。そして、一貫したボクシングに対する美学は変わらない。でも、その裏で、彼なりの葛藤があり、嘆きがあるはずで、それはその時にしか撮れないものだと思う。この映画は、ひとりの男の引き際ということで1本にまとめました。引退のことについてしつこく聞いています。リングを降りる時はどういう時なのかを質問したものを中心にまとめています。撮影中は、ドキュメンタリーを作る意識よりは、辰吉君にカメラをあまり意識させないように配慮して、本音を引き出そうとしましたね。
――監督からの質問で嫌なものはありましたか?また、20年でふたりの関係性は変わった?
辰吉:(質問が嫌なことは)別にない。(関係性は)良い関係ですよ。
阪本監督:辰吉君の前では素の自分に戻れる、という気がします。彼には「さかピー」もしくは「ピー」だけで呼ばれる仲ですからね(笑)。
――この映画をどんな人に観て欲しいですか?
辰吉:僕の父ちゃんかな。父ちゃんと、僕の女房のお父ちゃんに観せてあげたいね。二人の感想を聞きたい。
――最後に一言
辰吉:なにを喋っていいか分かりませんから、とりあえず、ありがとうございました。
阪本監督:ぜひ皆さんも、時々、自分の心境を習字で例えてみてください(笑)。
(※習字の例えは劇中で辰吉氏が語るエピソードの一つです)
(撮影:神保達也)
『ジョーのあした−辰吉丈一郎との20年−』
2016年2月公開予定
企画・監督:阪本順治
出演:辰吉丈一郎
※「吉」の正確な表記は(「土」の下に「口」)
「丈」の正確な表記は右上に点
ナレーション:豊川悦司
製作:日本映画投資合同会社
特別協力:日本映画専門チャンネル
特別協賛:J:COM
写真:(C)日本映画投資合同会社
取材の開始は1995年8月、アメリカ・ラスベガス。辰吉丈一郎25歳の時。JBC(日本ボクシング・コミッション)のルールにより、国内戦が出来ないため、海外にリングを求めた時期がはじまった――そして、次男・辰吉寿以輝がプロテストに合格した2014年11月、44歳の時までの20年間、様々な出来事の中で、辰吉の人間性、ボクシングに対する考え、父と子の絆、家族を愛することの大切さ、親として、そして1人のボクサーとしての心境の変化を、インタビューを中心に追い続けた魂の記録。
長年にわたりカメラを回し続け辰吉丈一郎という男の生きざまを活写したのは、『どついたるねん』(主演:赤井英和)で元プロボクサーを役者に起用し映画デビューした阪本順治。1995年製作の『BOXER JOE』では、世界を制したチャンプ辰吉丈一郎のありのままの姿をスクリーンに登場させた。この作品で辰吉という波乱万丈の天才ボクサーに魅了された阪本監督が、彼がリングを降りる瞬間まで見つめていきたいという強い想いから、20年間、当時と同じスタッフで定期的に撮影を続け本作『ジョーのあした−辰吉丈一郎との20年−』は誕生した。
いまだ引退宣言せず、現役であり続ける辰吉丈一郎の姿、阪本監督との20年に渡る長い付き合いだからこそ語られる真実の言葉。含蓄ある数多の語録は彼が発するからこそより深い。そしてレンズをみつめる顔は、長い時の流れの中で変化し続け、そこから一人の天才ボクサーの姿が炙り出される。
本作のナレーションを阪本監督の数々の作品に出演し、辰吉とも親交のある豊川悦司が担当する。
- 著者名
- しべ超二
- 著者紹介文
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映画ライター。ペンネームは『シベリア超特急2』に由来し、生前マイク水野監督に「どんどんやってください」と認可されたため一応公認。日本のキング・オブ・カルト、石井輝男監督にも少しだけ師事。プロフィール画...